イカ食文化の歴史
見ようによってはグロテスクな姿かたちをしているイカですが、人は何時頃からイカを食べるようになったのでしょうか。ここでは、日本や海外でのイカ食文化の歴史を簡単にご紹介したいと思います。
日本におけるイカ食
日本近海には数多くの種類のイカが生息し、良質な漁場も多かったことから、イカは古くから日本人の食材として親しまれて来ました。
文献を過去にさかのぼってみると、出雲国(現在の島根県東部)の歴史や文物を記した地誌『出雲国風土記』(いずものくにふどき。733年完成)には、北にある海でとれる様々な産物として、魚台(ふぐ。*正確には魚へんに台の1文字)・沙魚(さめ)・佐波(さば)・鮑(あわび)・螺(さざえ)などとならんで「烏賊」(いか)の名が列記されています。
また、平安時代に編纂された法令集『延喜式』(えんぎしき。927年完成)には、朝廷への献上物として、鮑や鮭とともに烏賊の名が列記されています。
その後も、「日宋貿易」(10世紀から13世紀にかけて行われた、日本と中国の宋朝の間で行われた貿易)などの取引品目のひとつとして中国に輸出されたりもしています。時を下れば、1980年には世界のイカの漁獲量が127万トンありましたが、そのうち日本の漁獲量が68万トンと、世界の半数超が日本で漁獲されていました。このように、日本では昔から、イカは食材として盛んに漁獲・消費・流通されて来たのです。
海外におけるイカ食
海外では、イカを食べない国が比較的多く存在しますが、これは宗教上の理由があるようです。例えば、『旧約聖書』のレビの書(11章)には、以下の記述があります。
「しかし、海や川の中に住んでいても、ひれと、うろこのないもの、水の中ではいまわっている小動物は、いとわしい不浄のものと思え。それらをいとい、その肉も食べず、その屍も忌み避けねばならぬ。水に住んでいても、ひれと、うろこのないものはすべて、不浄のものと考えよ」(出典:カトリックサレジオ修道会/訳者 フェデリコ・バルバロ、『聖書』、株式会社講談社、1980年発行、190頁)
この食の戒律に従うと、イカを食べることができません。
また、北欧では、中世から近世にかけて、あたかも島のように巨大なイカやタコのような頭足類が海の魔物「クラーケン」と呼ばれ、船乗りや漁師などを中心に恐れられてきました。これもイカ食に消極的となる理由としてあげられそうです。
しかしながら、南欧や地中海沿岸など、宗教が普及する以前からイカを食べる習慣があった地域では、イカも海の幸のひとつとして賞味されて来ました。
例えば、スペインの代表的な料理として知られる「パエリヤ」にはイカを入れますし、イタリア、ポルトガル、ギリシャの料理にはイカを使ったレシピが豊富にあります。
こうしてみると、洋の東西でイカに対する見方などが異なり、このことがイカ食文化にも影響していることがわかりますね。
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