食材としてのナマコの歴史
ナマコは日本では昔から酢の物などにして食されており、またところによりお正月料理に欠かせない食材とされています。
ここでは、ナマコがいつ頃 から日本人に親しまれてきたのか。
食材としてのナマコの歴史についてお話 したいと思います。
『古事記』などに登場するナマコ
文献を過去にさかのぼって調べてみると、日本最古の歴史書とされる『古事記』 (712年成立)にナマコを意味する『海鼠』の名が出て来ます。
アメノウズメが 伊勢の海の魚たちを集めて天津神の御子への忠誠を問うた際に
ナマコだけが口を開かず何も返答しなかったことから、怒ったアメノウズメがナマコの口を切り裂いたという話で、特に食材として登場するわけではありません。
ただ、ほぼ同時代の文献で、出雲国(現在の島根県東部)の歴史や文物を記した地誌 『出雲国風土記』(いずものくにふどき。733年完成)には
南の入海(現在の 島根県・中海のあたり)で獲れる様々な産物のひとつとして海鼠の名が出て来ますので
少なくともこの頃には、すでに古の日本人に食材として親しまれ ていたことがわかります。
朝廷への献上品だったナマコ
日本古代の法典である『養老律令』(ようろうりつりょう。757年施行)や 平安時代の法令集である『延喜式』(えんぎしき。927年成立)に
朝廷への 献上品としてナマコが記載されています。
延喜式には、能登国(現在の石川県 北部)から、干しナマコのほか、このわた(ナマコの内臓の塩辛)も献上されていた旨の記載があります。
食材として輸出もされていた
干しナマコは、江戸時代には、ふかひれや干しあわびなどとともに、幕府の統制の下、清国(現在の中国)に輸出されていました。
俵に詰めて輸送された ことから、この3品は「俵物三品」と呼ばれています。
夏目漱石は、小説『吾輩は猫である』の中で、「始めて海鼠を食い出せる人は 其胆力に於て敬すべく」、「海鼠を食らえるものは親鸞の再来にして」などとナマコのことを取り上げています。
古代の日本人は、見た目が多少グロテスクなところもあるナマコを、どのような思いで口にしたのでしょうか。
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