食用としてのサンマの歴史
日本におけるサンマの歴史を紹介しています。
サンマ漁の始まり
現在におけるサンマ漁は北海道~三陸沖が多く、脂の乗った美味しいサンマがたくさん獲れることで有名です。
しかし、江戸時代初期に始まったサンマ漁は紀州(和歌山県)熊野灘だと言われています。
これは当時は現在よりも寒流が南下していたという環境的な変化が要因のようです。
食用としての普及
江戸時代初期~中期にかけてサンマは食用としてではなく、脂を取って行燈などの油として使用されていました。
江戸時代には脂の少ない淡白な魚が好まれており、脂が多いサンマは高級魚のサヨリの変種と考えられていたようで、塩蔵品や干物にして食べられていたようですね。
1772年頃に「安くて長きはさんまなり」と魚屋が貼り紙をして売り出したため庶民にも広がっていったそうですが、刀を思い起こさせる姿ゆえに武士は口にしなかったと言われています。
また、旗本や大名は脂が健康に良くない、下品な魚は口に入れるべきではないとされていたため食べられることはなかったようです。
サンマの栄養価の高さの認知
「サンマが出ると按摩が引っ込む」ということわざができるほどサンマの栄養価の高さは評判になっていきました。
漁船や漁法の進歩と、余分な脂を落とし美味しく食べられる工夫ができるようになり、サンマは広く庶民に親しまれる食材へと変わっていったのです。
サンマには脳細胞の成長を助け、記憶力の向上や脳の老化予防に効果のあるDHAや、血中コレステロール値を下げて血液をサラサラにするEPAが豊富に含まれているので、動脈硬化や心筋梗塞の予防に繋がります。
サンマが食用として扱われるまでの歴史を簡単にご紹介させていただきました。「脂」の多さゆえに下品な魚として扱われていたサンマですが、不飽和脂肪酸のもつ健康効果の認知が普及の火付けになったのですね。
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